なぜ人は勉強するのかー勉強の意味について
人はなぜ勉強するのか、勉強する意味はなにか。
「高校や大学に入るため」
「志望する会社に就職するため」
「生きるため」
「自分の目標を達成するため」
「将来、豊かな生活を送るため」
「得た知識を社会に役立てるため」・・・
人によって様々な考え方があると思います。
これは、なかなか哲学的で難しいテーマです。
もともと「勉強」とは「勉め強いる」が語源で、本来、気が進まないことを仕方なくするという意味でした。
明治以降、知識を得るために努力することが美徳とされるようになったことから、「勉強」が「学問」と同じ意味で使われるようになり、一般的に「学習」を意味するようになったものです。
・・・どうりで「やらされてる感」が強いのは、この語源のせいなのかと思ってしまいます。
勉強とは「数学」や「英語」などの学問に限定したことではありません。
スポーツや芸能などの「技」を磨くのも「勉強」といえます。
たとえば、スキージャンプの高梨紗羅選手が「どうすればもっと遠くにとべるのか」と日々探求するのは勉強です。
イチロー選手も、1本でも多くヒットを打つために、投手の球種やクセを徹底的に研究する。これも勉強です。
総じて、スポーツ選手は「勉強」に対するモチベーションが非常に高い。
その答えは簡単です。
「勉強」に対する「意味」を理解しているからです。
「勉強」が「結果」につながるということが分かっている訳です。
ということは「数学」や「英語」を勉強する意味が分かると、モチベーションが維持できるということになりますね。
そこで、学問に対する「勉強」の意味を、私なりに考えてみました。
あくまでも個人的意見ですが・・・答えは二つです。
ひとつは「物事の捉え方を学ぶため」
社会に出ると、複雑で難解な問題や、応えのない問題に直面します。
しかし、その都度、頭を抱えていては先に進めません。
問題の原因はなにか、いくつの要素が絡み合っているのか、物事を冷静に分析し解決の方向性を見出していかなければなりません。
これは数学の複雑な問題を解くのに似ています。 (ひとつの例ですが・・・)
複雑な公式があった場合でも、よく考えると、それはいくつかの式に分解することができます。
全体を眺めると複雑ではありますが、個々に問題を考えていくと筋道が見えてきます。
ようするに勉強とは物事の捉え方や思考の訓練であるという考え方です。
もうひとつは「自ら成長するため」
志望する高校や大学の受験に失敗した場合、今までの勉強が無駄になったと考える学生がいます。
しかし、それは間違いです。
努力したことは確実に「成長」につながっているのです。
学問もスポーツも同じです。
すぐに結果につながらなくても、その努力と経験は無駄ではなく「成長」そのものなのです。
成長すれば、いずれ自分の願いが叶うようになるかもしれません。
そのために人は勉強するという考え方です。
どうでしょうか、
あなたは、何のために勉強しますか。